紀元前300年ごろには、ギリシア人は、すでに地球が丸いことをよく知っていました。その一方のはしに北極、もう一方に南極があって、ちょうど中間に赤道があることを知っていたのです。

7/8(金) 日記 晴れ

気持ちの良い晴れ。朝は割と涼しくて犬の散歩も少し遅め。でもいつも散歩で会うとても可愛い犬に会えて犬も私も幸せ。

本の追加をしたのだけど、いつも出てくるボタンがなくなっていて本を追加できない。shopifyのヘルプセンターにメールを送る。

せめて日記でも書くかと今書いているわけだが、特に書くこともないような気がする。

敢えて書きたいことといえば、エリザベス・ストラウトの本のこと。夕暮れドック(podcast夕暮れのドックイヤーのこと)で2回続けてエリザベス・ストラウトの本の話をした。「何があってもおかしくない」「私の名前はルーシー・バートン」の2冊をそれぞれ取り上げたのだけど、この2冊の間に「オリーヴ・キダリッジ、ふたたび」を読み、今「オリーヴ・キダリッジの生活」を読んでいるのだけど、オリーヴ・キダリッジシリーズはあまりグッと来ないということを感じながら読んでいる。特に今読んでいる「オリーヴ・キダリッジの生活」はあまりページが進まない。

この二つのシリーズ(と言ってもそれぞれ続編が1冊出ているだけだけど)に何がそんなに違うのかを、ほんのり考えてみた。思いついたのは本の大きなテーマで、オリーヴの方は「どうしようもない年月の流れによる精神、身体、家族の関係の変化」というものがテーマとしてあるような気がする。続編の「オリーヴ・キダリッジ、ふたたび」ではさらに「老い」もそこに加わる。ルーシーの方は、「貧困」「傷」そして「優しさ」が大きなテーマとしてある気がする。

そして、私は前者のテーマに若干の拒否反応を示している。後者の「優しさ」に私は肯定的な反応をしているのだけど、これは自分で選択できるということがキーになっているような気がする。

そして、それらの登場人物たちが前者は何かその出来事を諦めて受け入れているという感じがして、後者はもう少し前向きな印象がある。問題はあるけど、少し行動してみよう。という感じがあって、その行動が優しさの行動に思えるのだ。とにかく、何度も言うけど私はそれにすごく癒された。

読んだ人、全員が同じように思うとは思わないけど、個人的にそう思う。そして、面白いなと思うのは、私が最初に読んだのが「何があってもおかしくない」だったということ。私がもともと気になっていたのは「オリーヴ・キダリッジの生活」だった。でも図書館にたまたまあったのが「何があってもおかしくない」だった。多分、最初に「オリーヴ・キダリッジの生活」を読んでいたら他の作品は読んでいないと思う。決して面白くないわけじゃない。でももういいやとなっていたと思う。だから、私にとって「何があってもおかしくない」を読むために、図書館にたまたまあったのがこの本だったんだなと思う。

本との出会いというのは、やはり運命だなと思う。そんな金曜日。早くwebshopに本が追加できますように。